公益財団法人 大阪産業局

型を守ったうえでやりたいことに挑む (リボン食品株式会社 代表取締役 筏 由加子氏)

「血筋で会社を守る、ってかっこいい」。資本の論理でオーナーが変わることが当たり前のアメリカで過ごしていたからこそ、筏氏はアトツギの魅力に気づくことができたという。入社後は、製菓・製パン業界にオーダーメイドのマーガリンや冷凍パイ生地、焼成パイなどを提供するなど100年以上にわたってBtoBの事業を続けてきたリボン食品に、BtoCという新たな風を送り込み、チャレンジを続けている。「やりたいことに躊躇なく挑めるオーナー中小企業」ならではの醍醐味を社員にも味わってほしい、と日々前進している。

 

 

あとを継ぐことなんて全く考えもしなかった

Q どのような事業を行っているのか教えてください。

A 製菓・製パン業界を黒子として支えてきました。

創業は1907年で、私で4代目になります。曽祖父がアメリカからマーガリンを作る技術を持ち帰って、マーガリンを製造しました。以来、油脂多く使う食品の製造も手掛けるようになり、1970年には冷凍パイ生地を、1979年には冷凍デザートケーキをそれぞれ日本で初めて製造しました。かつて喫茶店で出される冷凍デザートケーキはほぼリボン食品製という時代もありました。今は、お土産用のお菓子、デパ地下の洋菓子店、ベーカリーなどと一緒に商品開発を行って菓子原料を納め、製菓・製パン業界を黒子として支えています。

Q 会社を継ぐことは考えていましたか?

A 全く考えていませんでした。社長になりたいと思っていませんでした。

私が10歳の時に祖父が亡くなり、父は33歳で社長に就任しました。父は仕事でまとったオーラを家にも持ち帰り、いつも厳しい表情をしていました。100名ほどの社員が常に働いていたのですが、「家族も含めると400人分の生活を支えるのが仕事なんや」とずっと言われていたので、社長って本当に大変なんだな、と。
幼い頃から新しい工場ができれば連れていかれましたし、社員の方が自宅に来られることもあったので、会社は私にとって身近な存在でしたが、私が2人姉妹の次女だったこともあり、あとを継ぐことなど一切考えることはありませんでした。姉が結婚すればお婿さんが会社を継ぐんだろうなくらいの感じでいました。

 

 

 

アメリカで悔いなく仕事をやりきったからこそ戻ってこれた

Q 社会人になってからはどのような道を志したのですか。

A ホテルウーマンになりたかったんです。

日本の大学を卒業してからアメリカに渡り、ホテルだけでなくレストランのマネジメントを学ぶ学部を選んで入学しました。食品学や栄養学も学べるので、もし将来家業で働くことになったら役立つかなという気持ちはちょっとだけありました。
卒業後はアメリカのホテルに就職して、フロント業務の仕事をし、とても楽しく充実した生活を送っていました。300室のホテルから700室規模の大きなホテルに移ってからはビジネス利用で会社のお金で泊まる人も、自分のお金をやっと貯めて泊まる人も同じようにしかサービスできないことがもどかしく感じました。今もあの時の申し訳なさを挽回したいという思いはどこかに残っていて、実は将来の夢はホテル経営なんです。
その後、旅行会社、コンピュータ周辺機器の会社などで働き、結局33歳までアメリカでやりたいことをやり、いつ死んでも悔いのないような生活を過ごしていました。

Q 家業に戻ることになったきっかけは。

A 血筋で会社を守る、ってかっこいいな、と思って。

日本に一時帰国したとき、当時リボン食品のナンバー2だった専務と話をする機会がありました。その時に「リボン食品には筏家の血筋が必要」と言われたんです。
実は日本で3年間リボン食品で働いていたことがあったんです。父が病気をして、姉が未婚だったこともあり、もし何かあったら社員の人たちはどうなってしまうんだろうという思いがあり、アメリカのホテルを退職し帰国しました。その3年間はあまりうまくいかなかった暗黒の時代だったんですが…。
その時のことも知る専務が「あなたならできる」と評価してくれたことがうれしくて。資本の論理で目まぐるしく経営主体が変わるアメリカの会社と違って、血を受け継ぐ日本の会社ってかっこいいなあという思いもあり、腹をくくりました。次の日の朝6時に、家で仏壇に向かおうとする父に「会社を継がせてほしい」と伝えると「わかった」と。

Q お父様はどのように受け止めたのでしょうか。

A 自分がその気になるのを待っていてくれたのかなと思います。

意思を伝えた後、父が鼻歌を歌いながら仏壇に報告していたんです。そのような父の姿を見たことがなかったので、やはり嬉しかったんだな、と。選択は間違ってなかったんだとその時に思えました。
父は、「おれから継いでくれと言うことは一切ない。頼まれて引き受けたとなると、苦しい時に責任をそちらに押し付けて心が折れやすくなる。自分の意志で決めたからこそ、人のせいにすることなく壁も乗り越えられるんや」と言っていました。今となってはそうしてくれてすごくありがたかったなと思います。

新しいことを始めるより既存の事業の可能性に着目

Q 家業に戻って、社員の皆さんの反応はいかがでしたか。

A 覚悟が伝わったようです。

1度目に戻った3年間は私自身生半可な気持ちがあったし、社員もほんまに継ぐんだろうという気持ちがあったんでしょうね。だから受け入れてもらえませんでした。ところが2回目の時は私に覚悟が決まっていたようで、社員からも「人ってこんなに変わるの」と言われたほどです。会社をどうしたいのか、そのために何をしなければならないのかという思いを社員にまっすぐに伝えられたので社員の皆さんもとても協力的でした。

Q まずはどのようなことに取り組んだのですか。

A 既存のパイ事業の可能性に着目しました

私が入社する直前に、父が自身で大きく育てたデザートケーキ事業から撤退を決めました。父の育てた事業を私が辞める決断はしづらいだろう考えてくれたようです。
ただ、デザートケーキ事業は全売り上げの3分の1を占めていたので、周りからも不安がられました。会社は5年で売り上げを戻そうと考えていたのですが、私は3年で戻したいと思いました。
急にやってきた私がまったく新しいことをやり始めれば社員からアレルギー反応が出るかもしれないので、既存のパイ事業を伸ばすことで会社を変えようと考えました。そこで「パイといえばリボン食品」というスローガンを作って、どの社員に聞いてもパイのことならわかると言えるように全員でパイに関する本を作ったりもしました。これまでパイを長年売っていたのに冷凍デザートケーキに目が行って、リボン食品がパイを作っていることを知らないお客さんがいたのもあり、3年で取り戻すことができました。
自分の代になって改革をと考えがちですが、父からは、まずは型を覚えてそこからアレンジをしなさいと言われ続けていました。その通り実践したいなと思い、やってきたことをまずは受け入れてその中でチャレンジすることにしました。

Q BtoCの事業を始めた理由はなんでしょうか。

A 社員やその家族の誇りになるものをと思いました。

弊社の商品を材料にしたお菓子やパンはたくさんありますがすべてBtoBの事業なので、一般消費者に向けた事業ができれば社員や社員の家族の誇りにつながるのではないかと思いました。今後シュリンクする日本の市場だけ見ていてはいけないという思いもあり、アメリカのファット・ウィッチ・ベーカリーというブラウニー専門店と提携し、店を展開することにしました。リアルの店舗を出すことによってお客様の苦労を感じることができましたし、店で得られた情報が商品開発にも生かせると考えています。いずれアジアにも進出できたらと思っています。

 

同じ黒子でも目立つ黒子に

Q お父様と衝突することはありませんでしたか。

A めったにぶつからなかったのですが、社屋の建て替えでは意見がぶつかりました。

築50年以上が経っていた社屋の建て替え時期が来ていたのですが、「メーカーなのだからお金をかけるなら工場に設備投資をすべき」と言う父に対し、私は「機械を動かすのは人。社員が気持ちよく働ける環境を整えられるよう社屋を建て替えたい」と主張しました。
旧社屋では、建て増しであちこちに部署が散らばっていたので、100名の社員を1ヵ所に集め、毎日みんなの元気な顔を見たいという思いがありました。そのことを父にも伝え、理解してもらいました。新社屋になってからは、全員で朝礼をしています。

Q 2018年に社長に就任されました。何か変わりましたか。

A 謙虚でいる姿勢は変わらず持ち続けています。

2012年に取締役開発部長、13年に常務取締役、14年に専務取締役と階段を少しずつ昇っていきました。専務時代にはほぼ経営を任せてもらい、助走期間を作ってもらいました。
就任と同時に、社員に、「私たちの役割は黒子ですが、これからはもっとリボン食品のことを知ってもらい目立つ黒子になりましょう」と伝えました。専務時代から私自身が広告塔になると意識して動いていたのですが、わたしのような破天荒な性格に社員がよくついてきてくれたなと感謝しています。やはり会社は社員があってこそ。長い歴史の中で、代々の社員が積み重ねた努力の結果を、私は受け継がせてもらっているのだという、謙虚な姿勢を持ち続けているからこそ、協力してくださる方がいるのだと思っています。

 

 

自分のやりたいことをできる会社と社員に感謝

Q 2021年10月に産前産後の女性のための新ブランド「ミノッテ」を市場に送り出しました。その目的は。

A つらい思いをしている女性の力になりたいと思いました。

糖質の過剰摂取を気にされる方が、普段の食事をできる限り変えることなく毎日の食事ができるよう、2009年に低糖質食を商品化し、発売しました。糖尿病予備軍やダイエットをしている方に人気でたくさんのリピートをいただいています。
実は私自身も産前うつ、不妊治療を経験し、一人で抱えこんでつらい思いをしました。低糖食で培ったノウハウを、​妊活や、産前産後のホルモンバランスの崩れといった女性特有の悩みで苦しんでいる人のために生かせないかと考え、パートナーやご家族と一緒に楽しい食事をしながら、なおかつ必要な栄養素が摂れるように、との思いで商品化しました。
最初、反応が鈍かった社員も今はいきいき取り組んでくれていて、毎月新しい商品のアイデアを沢山出してくれています。私の代になって日本で初めての事業なんてできるのかなと思っていたのですが、これからも食のパイオニアとして世の中にないものをタブーにとらわれずやっていきたいですね。中小企業のオーナーだからこそできることだと思っています。

Q 今後、力を入れていきたいことは。

A 社員の自己実現をかなえる会社にしたいと考えています。

食を通じて自分がやりたいとこを何でもできることに感謝しています。その思いを父にも伝えました。今後は社員一人ひとりがやりたいと思ったことをできる会社にしていきたいですね。
そして私がやりたいのはホテル。ホテルで提供する最高のホスピタリティをリボン食品の事業にも反映できれば最高のシナジー効果になると考えています。

(文・山口裕史/写真・坂本葵)

【取材協力】
リボン食品株式会社
〒532-0035 大阪府大阪市淀川区三津屋南3丁目15−28
HP:http://www.ribbonf.co.jp/

Copyright OSAKA BUSINESS DEVELOPMENT AGENCY all rights reserved.