公益財団法人 大阪産業局

コストダウンから売上増への貢献に価値観を転換 食肉業界にイノベーションを起こす (株式会社なんつね 代表取締役社長 南 常之氏)

南常之氏は食肉スライサーメーカーの4代目だ。家業に戻った当初は米国で取得したMBAで学んだ理論を生かそうとするも撃沈。人生観が変わる出来事を経て、置かれた状況を受け入れ、自責に徹することでやるべきことが定まった。現在は食品工場向けのコンサルティング、エンジニアリング、テクノロジーを3本柱にしながら、業界に新たなイノベーションを起こそうとしている。

 

Q 事業の概要から教えてください。

A 食肉スライサーで45%のシェアを持っています。

「食を生み出すプロセスという社会インフラを支える企業」と社員に説明しています。具体的には肉やハムを薄く切ったり、ミンチにしたり、ソーセージをつくったりするスライサーのメーカーです。1925年に創業した曽祖父はもともと天才的な包丁刃物職人で、今の価値で言えば1億円プレーヤーだったのですが、なぜか4年で辞め、食肉切断機を創作したのが始まりです。

 

Q どのような気持ちで家業に入社したのですか。

A 反発も、強烈な使命感もなく、淡々と「継ぐ」という気持ちでした。

町工場でしたから幼い頃は朝起きたら社員さんと一緒に朝ご飯を食べるような生活が当たり前でしたので、会社をやってるお父さんなんだなと思っていました。社員さんからは子ども時分から「4代目」と呼ばれていたので、潜在的にこの会社を継ぐんだろうなという意識もありました。

大学卒業後、父からアメリカの大学院に行けと言われ、遊ぶ時間が増えたと思って喜んでいたのですが、勉強が面白くて、現地で勧められるままにMBAで学び、まさかのオールAで卒業しました。帰国するタイミングで家業に戻ろうと決めました。

Q 戻られた時期はどのようなタイミングだったのですか。

A 狂牛病の影響で売り上げが半分になり大赤字の時でした。

2002年6月に家業へ戻ってきたのですが、狂牛病で大変な時期でした。でも、ぬるま湯のような組織を変え、しがらみから抜け出す良いチャンスだととらえて、スクラップアンドビルドならぬスクラップアンドスクラップしすぎて大混乱。大失敗でした。

現場の経験なしに、頭でっかちのMBAの知識だけでやってしまったんです。ビジョンもなく、目の前の問題点ばかり見てしまっていたというのも失敗の原因ですね。その教訓を生かし、現場に若手を登用しながら少しずつ変えていきました。

Q その時期をどのように乗り越えられたのですか。

A 実は九死に一生を得る体験をし、考えが変わったんです。

家業に戻って2年ほどした頃の2004年12月26日にスマトラ地震が発生した時、新婚旅行でモルディブに旅行中だったんです。そこで津波にのまれました。あきらめかけたのですが、水上コテージの屋根に捕まったところをパキスタンの戦艦が拾ってくれて一命をとりとめたんです。そこから、いつ死んでも大丈夫なように、一日一日を正直に一生懸命生きなくてはと考えが変わりました。

それまで仕事ではいろいろ失敗してきたのですが、覚悟がなかったんです。ボンクラ経営者で社員からもそれを見透かされ、誰もついてこない状態が続いていました。モルディブでの体験から、他人のせいにする生き方をあらためました。

ユダヤ人精神科医のアウシュビッツでの経験を描いた伝記「夜と霧」の中に「与えられた環境でどのように振る舞うかの自由は誰にも奪われない」という一節があります。与えられた環境は変えられないけれども振る舞いは自分に選択権があると考えることで状況を受け入れられるようになり、ぶれることがなくなりました。

 

 

Q それから事業のやり方をどのように変えていったのでしょうか。

A お客さんのコストを下げるだけではなく、売り上げを上げることで貢献しよう、と発想を転換しました。

それまでは食肉スライサー単体で販売していたので、150万の見積もりを出して、競合社が140万出してきたら、うちは135万に下げるというような商売のやり方でした。こんなおもんないこと社員にさせたくないと思って、値引き以上の利益貢献を提供すればいいんだと気づきました。

ちょうどその頃、商品企画担当の新卒女性社員から「なんつねは町のお肉屋さんに育ててもらったのだから恩返ししませんか」と言われ、頭を殴られたような衝撃をうけました。それまで大手のスーパー、食品工場ばかりに目を向けていたのですが、確かにそうだな、と。

そこで、後継者が頑張っているお肉屋さんを対象にオリジナルソーセージ作りを提案したんです。肉を切って出る端材を有効活用してソーセージを作ることで売り上げも上がるし、新たな集客にもつながる。高価な機械をいきなりは買ってくれないので、社内にテストキッチンを設けてサンプルを作って試してもらいました。

 

 

Q そこから事業が広がっていったんですね。

A 相手の担当者が経営中枢の担当者に代わり、相談事が増えました。

提案型のビジネスに変わって、食品工場に対しても以前は相手にするのが購買担当者だったのが商品企画や経営の中枢にいる担当者に代わり、いかに機械を安く買うか、ではなくどうすれば利益が上がるかという相談が増えました。社員をトレーニングして今では食品工場の収益向上に関わる相談をすべて受けています。

もう一つは、オリジナルソーセージを提案したお肉屋さんから「機械はいらんからから、そのソーセージを売ってくれ」と言われまして。それなら、と自家製ハム・ソーセージ販売店「ミート・デリ・モースト」をオープンしました。その後、ビストロ併設型ミートデリ店「Meat Deli Nicklaus’」(ニクラウス)を出店しました。そこでこだわったのは「人が通らないところに店舗出す」ことでした。地方の町のお肉屋さんの多くは人通りの少ない場所で頑張っておられる中で、繁華街で出して成功しても説得力がないからです。1階をテイクアウトにし、2階で製造し、これくらいの坪数であればこのくらいの売り上げでこのくらい製造量だという情報を提供できるようにしました。

2年前にはスパイスメーカー買収しました。一度機械を売ってしまうと買い替えまで取引がなくなるのに対し、スパイスは毎月の売り上げにつながりますから。

 

Q 社員の反発はありませんでしたか。

A 何をやるにしても反対する人は常にいるので気にしていません。

「食を生み出すプロセスという社会インフラを支える企業、として世界の食を豊かにしている会社」というビジョンから考えれば、スライサーもソーセージも同じ範疇に入ります。巨人ファンと阪神ファンであれば喧嘩になるかもしれませんが、セ・リーグを熱くするといえば喧嘩にならないでしょう。

 

 

Q ビジョンを掲げたのはいつですか。

A 社長なって1年後の2011年です。

商品企画をコンサルティング、製造ラインの提案をエンジニアリング、食品機械の製造をテクノロジーと呼び、この3つをグローバルで回していく、という表現をキックオフミーティングでしたところ、スライサーを作っている会社が何を言っているんですか、という感じで従業員はみなポカーンとしていました。

ビジョンは組織づくりで浸透を図りました。数に限りある陣容の中で、営業のエース級をコンサルティングに配置するなどしました。当然、営業力は一時的に弱くなり、売り上げも落ちますが、長い目で見れば取り返せます。それを覚悟できるかどうかですね。

あとは社長に就任してから毎朝欠かさず書いている社員向けのメッセージが、私の思いを伝える道具になっています。歯磨きみたいに習慣になっていますね。今ではコンサルティング、エンジニアリング、テクノロジーの三つのキーワードが会社の強みとしてみんなに理解され、日常業務の中で飛び交っています。

 

Q 社長になってからMBAにもう一度通われているんですね。

A 中小企業の経営者は日々の雑務に追われるうちに視座が下がってしまうものです。

そのことを社長になる前に感じて、2009年から神戸大学のMBAに通いました。関西でもナンバーワンクラスのMBAなので、授業の内容も充実していますが、大企業から選抜された人が参加するなど、優秀な方が多く、多くの学びと気づきが得られました。他社で働いた経験がない分を補うことができた感じです。

ただ、その間に父が急逝し、時間を作り出すのが大変でした。限られた24時間の中で時間をどのように捻出しようかと考えるうち、夜の9時から12時の時間に着目しました。仕事をしていても能率が悪い時間であり、仕事をせずともビールを飲んでテレビを飲むだらだらとした時間でした。ここを削り、10時に寝て4時半に起きる習慣がついたんです。起きてからの3時間をだれにも邪魔されない貴重な時間として、読書をしたり、朝メールの内容を考えたりしています。

 

Q 今後の事業展開をどのように考えていますか。

A 食品工場に新たなイノベーションを提供できる会社になりたいと考えています。

主要なクライアントである食品工場にどのような価値が提供できるのかを考え続けていきます。これまでコンサルティング、エンジニアリング、テクノロジー、さらにはスパイス事業と展開してきましたが、これらと新たなものを掛け合わせることでイノベーションを起こせないかと考えています。さらに視座をアジア、世界に広げればできることも変わってくると考えています。

 

 

【取材協力】
株式会社なんつね
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HP:https://www.nantsune.co.jp/guidance/company_summary.htm

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